そして、目の前が白黒に点滅する中、起き上がることもできず、こみ上げる吐き気をこらえていた自分がベッドの上で聞いたのは、荒々しくドアを開ける音だった。
「あきらっ!」
秀也だ、とすぐに分かった。
けれど、目が開けられない。
ちょうど、保健室の先生が席をはずしていたのだろう。
自分たち以外誰もいない保健室で、秀也にあきらの病状を正確に伝えるものは誰もいなかった。
「あきら」
恐る恐る、といった風にかけられた言葉に、目をあけることも口を開くこともできなかった。
初夏の日差しが相当こたえたらしく、体を起こすこともできなかった。
沈黙の中、気配が動いた。
ベッドサイドに、秀也が寄ったのだろう、目を閉じていても、落された陰でそのことが分かる。
心配をかけてごめん、大丈夫。
そう言いたくても言えない、そんな中、不思議な事が起きた。
なにが起こっているのかわからなかった。
ためらいがちに、それでも確かな熱を持って、唇に何かがふれた。
そっと落された感触は、一度は離れ、次にはさらに強く押し当てられた。
何だろう、と思っても、目が開かない。
また少し離れた感触は、再び落されるたびに長さも、熱も、激しさを増していく。
唇をついばむような動きのあと、さらに角度を変えて押しあてられる。
なにが起きているのか分からずに、目を開けようにも声を上げようにも、体が言うことを聞かない。
ついには、誰かが自分に覆いかぶさる気配がした時は、内心恐慌状態だ。
けれど、鼻梁をくすぐった汗のにおいは、間違いない、いつも慣れた秀也のものだった。
くちゅ、と唇を挟まれ、熱を何度も押し当てられていく。
どうして・・・・なにが・・・・。
何一つ確認できないまま、どれほど時間が経っただろう。
何度も何度も口づけられた後、頬に手を添えられ、もう一度、今度は長い長い口づけが下りてきた。
夢でも見ているのか、あきらは頭の片隅でそう思った。
そうでもなければ、説明がつかない。
なぜ、幼なじみの秀也が、男の自分にキスなどするのか。
タヌキ寝入りだと思われ、いたずらにはいたずらで仕返しでもしようと言う、ちょっとした冗談だったのかもしれない。
しかし、夢うつつだった自分がハッキリ意識を取り戻した時には、秀也の姿もなく、次の日顔を見合わせた秀也はいつもと変わらず、まるで他人事のように「昨日倒れたんだってな。気をつけろ」と、ぶっきらぼうに言われただけだった。
あれは何だったのかな。
夢だったのかな。
でも、唇に残った感触は、とても夢だとは思えなかった。
秀也の寝顔を見ながら、どれくらいそうしていたのだろう。
ようやく目の前で身じろぎをした秀也の目が、ぼんやりとあきらをとらえる。
「・・・おはよ」
いたずらっぽくそう告げると、ゆっくりと瞬きした秀也が、寝起きのかすれた声で小さく「・・・あきら」と名前を呼んだ。
「ん?」
返す言葉に返事はせず、秀也は大きく伸びあがった。
「・・・帰ろう」
「ん」
なんとなく。
このことは聞かない方がいいと、あきらは感じていた。
聞いてしまったら、きっと、答えが返ってくる。
その答えがどんなものでも、きっと、自分には受け入れられないのだ。
冗談だったと言われても傷つくだろう。
・・・本気だと言われても、困るのだろう。
自然と己の唇に指で触れてしまい、あきらはうつむきながら秀也の後ろを追いかけて行った。