「どうしたんだお前。人間にひどいことされたノラ猫みてえ」
「・・・・。」
水守はもしかしたら、鋭いのかもしれない。
あれから。
あきらはあっけなく熱を出し、2日間学校を休んだ。
熱にうなされながら、何度も何度も脳裏に浮かぶのは、己の熱を口に含んだ幼なじみ、そして暗く笑ったあの目だ。
苛立った幼なじみの、単なる八つ当たり・・・特に意味のない悪ふざけ・・・色々と思いこもうとした。
思いこもうとした時点で、真実は自分の望んだものとは違うのだと思い知る。
保健室でキスをしてきた秀也。
そして、ソファに押し倒し、あきらの服をはぎ取った秀也。
秀也が、急に豹変した理由が分からない。
いつものように並んで歩き、いつものように「じゃあな」と言えば良かったのに、なぜ、あんなことに。
悩んでも答えは出ず、あきらはひとつ決意をする。
秀也とは、もう、口をきかない。
子供っぽい抗議かもしれない。
けれど自分はあの事を決して許せない。
例え意味などなくても、悪ふざけでも、あんなに泣いて止めてと頼んだのに、無視して水音を立てた秀也・・・最悪だ。
忘れようとしてもなかなか果たせず、心のどこかでおびえていたのか、水守が冗談半分にのばしてきた手にもビクついてしまった。
「お前さ、一人で悩んでんなよ」
ぎくっと、体がこわばる。
何を知られたのだろうと恐る恐る見てみると、ただ心配そうに眉をひそめる水守と目があった。
「聞くだけ聞くぜ?」
言えない。
とっさにそう思った。
大切な幼なじみを、こんな形で失ったとか。
男なのに・・・男に犯されそうになったとか。
まだ、あきらにも受け入れられないことなのに、ましてやクラスメイトに相談できようはずもない。
「・・・ありがと」
じんわりと笑うことしかできず、その笑みをどうとらえたのだろう、水守は拗ねたように「いーけどなっ」と吐き捨てて席を離れた。
本気で心配してくれたのだと、その後ろ姿が語っている。
ありがたいけれど、このことはもう、忘れたほうがいいと思った。
本当は、ほんの少し。
嬉しかった自分なんて、見なかったふりをしよう。
いつも男らしくりりしい幼なじみに、かすかなあこがれがあったのも本当だ。
別に抱かれたいなんて思わなかったけれど、時折その男らしい姿にどきりとすることもあった。
体が弱く、背も低い自分のコンプレックスも大いに関係していただろう。
そんな秀也が、自分を求めていたことだけは疑いようもなく、怖かったと同時に、ほんの少しだけ、訳のわからない嬉しさがあったことを、時間の経過とともにかみしめる。
変なの。
気まずくて二度と前のように話せなくなった秀也を、寂しくて悲しくてやりきれない感情で思い返す。
けれど、今の自分は、不思議なほど落ち着いていた。
水守のおかげかもしれない。
「あ、姫もか」
ひめ、という単語に首をかしげていると、水守が注釈に割ってはいった。
「あーあきら、前に体育で倒れただろ。そんとき、俺がオヒメサマダッコしちまったんだよ!」
「え?」
脳裏に走る光景。
秀也に、キスをされた保健室。
「・・・あー・・・。」
「お前がふらぁって倒れこんでくるから、とっさに支えてさ。手っ取り早く運ぶのって、それしかなかったんだよ。つかスズキも変なこと蒸し返すなよ!」
クラスメイトに殴りかかるそぶりを見せる水守に、ああ、気にしてないから平気・・・と言おうとして、気づいた。
あきら、って。
高校に入ってから、もう秀也以外の誰もそう呼ばなくなった名前。
姫、という言葉よりもそっちの方が気になった。
「ま、いーや。最初の鬼は隼人な!」
スズキ、と呼ばれたクラスメイトが指名すると、水守がちぇーっと分かりやすく悪態をついた。
「んじゃ、じゅーかぞえっから、てめーらテキトーににげろやー」
「うっわやる気ネェ!」
ブーイングを軽くあしらいながら、空き缶に足を乗せた水守が数を数えだす。
約束していた、缶けりタイムだ。
高校生にもなって、そんな遊びを提案するなんて、賛同者はいるのかな・・・不安がっていたあきらの予想をはるかに上回る勢いで、「おれもおれも!」と参加希望者が増えていき、13人もの大所帯になった時にはそれだけでおかしかった。
「姫ー!にげるぞー!」
クラスメイトにそう呼ばれ、嫌なあだ名がつきそうだと慌てて訂正する。
「姫とか言うなよ!」
「姫怒ってもカワイーな!」
「マジ女子よかいけてるって!」
謎の称賛を浴びつつ校庭に散らばると、こらぁぁぁ!と水守の怒声が追いかけてきた。
「お前ら姫とか言うなー!言いたかったら、見事あきらをオヒメサマダッコしてみろってんだ!!」
「なんだそのオーダー!!」
非難の声をあげつつ、鬼の主張を笑い飛ばし、いわく水守が「すっげーエキサイトする!」缶けり大会をしているうちに、信じられないが、夕方になってしまった。
高校生にもなったら、こういう風に、ああいう風に・・・あきらが描いていた夢プランに、こんな缶けりなど含まれていなかった。
イレギュラーすぎる事象だったが、普段話さないクラスメイト達とも本気でたわいないことで笑いあえるのが、ここまで楽しいとは思わなかった。
秀也のことで、色々と悩むことも、なかったわけじゃない。
だけど、こうして水守と笑っているうちに、少しずつ忘れていける・・・そんな気がしていた。
「キノシタ見っけ!缶ふんだっ!!」
鬼に宣告され、あっけなく終わった2時間にもわたる缶けり鬼ごっこは、夕焼けを合図に終了となった。
いつもは秀也と帰った下校の道も、わいわいとコンビニに立ち寄りながら帰ると、知らない土地のようだった。
水守と一緒だと、知らないこと、気づかなかったことが見えてくる。
あきらは、秀也のことを考えないよう、考えないよう、頭の隅に追いやり続けた。
あれから二度と帰らなくなった下校の道。
校内で顔を合わせる機会は幸いにして少なく、もともと携帯で頻繁にやり取りする仲でもなかった。
接点は、削ろうと思えばいくらでも削れて、隣に住んでいたからといって、それが大したことなかったのだと、あっけにとられるくらいだ。
今では、水守と遊んでばかりだ。
帰り道が、ちょうど途中だということもあり、あきらの玄関先で水守と別れたり、そのまま少し部屋に寄って行ってもらったりと、ずっと昔からの友達のように接することが多くなった。
もうじき夏休みだ。
一緒にキャンプとかしようぜ!と笑う水守に大きくうなづきながら、後ろ姿に手を振り続けた。
変なことは忘れよう。
・・・あの日のこと、秀也のこと、全部なかったことにすればいい。
あれから秀也も何も言ってこない。
お互い気まずい過去は忘れたほうがいい。
そう思って家のドアに手をかけると、隣家の玄関でこちらを見ている秀也に気づいた。
表情は見えない。
でも、水守を見送っていた自分を、こうしてじっと見られていたのだと思うと、たまらなく怖くなった。
急いで視線から逃れるように、玄関に滑り込んだ。
忘れたい。
けれど忘れられない。
やめて、と泣きながら訴えた自分の、敏感な熱を執拗に弄んだ幼なじみ。
いつも隣にいた、あの優しい幼なじみが豹変したことを、一番受け入れ難く想っているのは、あきらだった。