「放課後、時間はあるか」
木戸の言葉を咀嚼するまでに、数秒の時間を要したらしい。
分単位でなくてよかった。
それくらい、呼吸とともに何かをかみしめる気配がした。
嬉しさ、恥ずかしさ、でもやっぱり嬉しさ、それの色が強くなる。
「よかったら、少し話―――」
「呼んでくれた!」
木戸の言葉が、途中でぶった切られる。
茶色の塊が叫んだ。
「きどたからさんが、僕のこと・・・!」
そこで続くのだろう、”呼んでくれた”という言葉に。
茶色い塊は、ぐっと両手をにぎりしめ、ばたばたっとその場で足踏みをする。
嬉しくてじっとしてられなくて、我慢するための救済措置。
そんな風にはしゃぐ相手に、木戸は若干・・・引いた。
「ええとな、要点そこじゃなくてな、とにかく放課後・・・」
「あいてます!!というか、あかせます!あれ、日本語あってますか!」
「・・・知らねえけど」
想像以上に、はしゃがれている。
教室扉の前で、いきかうクラスメイトがもの言いたげにこちらをチラ見していく。
「あー・・・1年は今日、何時限目まであるんだ?」
「今日は5限です」
「じゃあ、終わったら、図書室に」
「はい!」
出会って2か月。
初めて約束を交わした。
会ったら、何を話そうか。
まず、どこで会ったかを確認しよう。
単に自分が忘れているのか、向こうから一方的に知られているのか。
なぜ、毎朝、告白まがいなことをしているのか。
これから、どうするつもりなのか。
そして一番聞きたいのは。
お前は一体、どういう人間なんだ?
茶色いだけの塊では、ないはずだから。
その辺について、興味がわいた。
本人の口から、聞いてみたかった。
何を見て、何を思って、日々をすごしているのかを。
・・・・で、寝てたわけだ。
放課後、とりあえず図書室にいくと、他の生徒がチラチラ含み笑いで通り過ぎるテーブル席の端っこに、今朝見たばかりの茶色い塊があった。
すぅ、すぅ、と、かすかな寝息とともに上下する薄い背中が、あどけなくて可愛い・・・と思いいたり、ヤベ、なに考えてるんだ、と自分に突っ込む。
一人っ子の自分にとって、弟がいたらこんなかんじだろうか、と思わせる無邪気な笑顔や寝顔が、ありもしないはずの母性本能をくすぐる。
男の身に、母性というものがあると仮定した場合の話だが。
毎日当たり前のように好きだ好きだと言われて、洗脳されてしまったのか。
1年の身では、まだ知らず知らずに緊張して、精神的に疲れていたりするのだろう。
3年生にもなると、そういう新鮮さが欠けてしまう。
素っ頓狂な面ばかり見てきたから、こういう年相応な姿は逆にほっとする。
相手を起こさぬように、向かいの席の椅子をそっと引く。
ちょうど、課題図書の感想文という、どうしようもない宿題が出ていた。
大学入試の小論文の練習だ、と現国の担当教師は言い放っていたが、昨今、文系だってセンター試験だけでパスしてしまうのに、こうやって原稿用紙のマスを埋めるのに意味はあるのか。
そう思いつつも、起承転結、三段論法・・・どの型にのっとって書き上げるべきか、木戸はシャーペンの芯をけずる。
かり、かり、と静かに紙をたたく音と、すやすやした寝息だけが図書室に響いた。
どのくらいそうしていただろうか。
ふと、窓を見れば、ほのかにオレンジが空を覆っている。
腕時計に目をやると、なんだかんだと時間が経過していた。
そろそろ、最終下校時間になる。
起こした方がいいのだろうかと目をやると、茶色い髪が夕日をあつめ、更に明るく輝いている。
宿題の提出期限はまだ先だ、この辺で今日はやめておこう。
原稿用紙を2つ折りにしながらため息をついた瞬間、
「えっ!!」
目の前で、茶色い塊がはねた。
起きたようだ。
急な動きにこちらも固まっていると、相手も木戸をしばし見つめた。
お互い、無言で見つめあうこと15秒(推測)。
「えええええっ!?」
人の数は減ったとはいえ、図書室で大声を出すと注目を集めてしまう。
「しずかに」
しろ、とまでは言えなかった。
首を左右に激しく振り、何かを確認するかのように周囲を確認していた光輝の目が、木戸でひたりと止まる。
「え、いま、なん、」
「6時半。そろそろ下校時間だな」
「・・・・・・っ!」
息をのむ気配、そして、みるみる朱が首元からせりあがって顔全体を染めていくのを、木戸はただ傍観する。
こうして見ているだけで、本当に考えていることが、手に取るようにわかる。
それなのに、肝要なことは、なにひとつわかっていない。
ふと。
漏れた笑みをどう誤解したのか。
向かい合ったテーブルで、茶色い塊は、おろおろわたわたと、擬音のすべてを表現し、やがて縮こまった。
「すみません・・・・」
消え入るような声が、本当におかしくて、木戸はついに声をたてて笑った。
しょんぼりと身を縮めるさまがますますおかしくて、木戸の肩は笑いと共鳴するように震え続ける。
ほんの少し早く終わってしまったホームルーム(担任のヤマダの手腕が光った)のために、早めに到達し、少しの時間もそわそわと落ち着かず、何を話そう、どうやって話そうと考えているうちに、陽だまりの温度が心地よく、つい、深く眠ってしまった光輝は、目が覚めた瞬間、焦がれていたその人の姿を見つけてしまった。
そのとき、自分は息をしていただろうか。
それすら忘れるほどだった。驚いたなんてものじゃない。
意味が分からなかった。自分の身に起きたことのすべてが。
目が覚めたら、目の前に大好きな人がいて、そして笑っている。
「ははは・・・っ」
低い声が、耳にやさしくふるえる。
息が止まるくらい恥ずかしいのと、息が詰まるくらいうれしくて、光輝は伏せた顔があげられなかった。