「うわああああ考えたこともなかった!なにそれ!その選択肢!うっは、そんなことになったらどうしよう、オレ、一生分の幸せを使い果たしちゃうな。うん、でも、悔いはない」
来世の分の幸せを上乗せしてもいい、と、ひとりガッツポーズをとっている。
たぶん、光輝は、アホだ。
終業式を控えた7月、試験後も『日参』をしなくなった光輝に、失恋したのかと半ばいい加減な質問をしたら、満面の笑みで、「言わなくても伝わったからもういい」と切り返されたことに端を発する。
伝わったってどういうことだ、というか今まであんなに毎日言ってて伝わってなかったものがどうして、と、湧き上がる疑問をぶつけると、またもや気味の悪い満面の笑みが返ってきた。
毎朝会いに行くのも嬉しいけれど、それだと正志の言ったとおり、先輩はちょっと困るっていうので、LINEで手を打つことにした、と、にやにや見せつけられたスマホの画面は、予想通り、お約束通り、既読スルーの嵐だった。
好きです!
既読
きどさん、絶対絶対、夏休みになったらオレと遊んでくださいね!
既読
読んでくださってありがとうございます!大好きです!
既読
「・・・お前、大丈夫か、いろいろと」
「うん、幸せすぎてクラクラする」
「・・・。」
正志は返す言葉もなく、箸を噛んだ。
昼休みの学食は適度に混んでいて、正志のような弁当持参組には居心地が悪かったが、中間テストで負けた方が学食をおごる、という賭けに敗れた結果、光輝に昼食を献上すべく、ついてこなくてはならなかった事情がある。
母お手製、冷凍食品てんこもり弁当を、味気ない気持ちでつっつきながら、目の前でごきげんにオムライスをほおばる光輝を、ある意味うらやましいとも思った。
オトコが好きなことではなく、何があっても、へこたれずに元気いっぱいで屈託のない、この強靭な精神力が、だ。
このくらい元気に世の中を渡っていけたら、さぞ楽だろう。
「正志はこの夏、どこまで行けそう?関東大会」
「んー・・・先輩ら、最近調子いいしな」
正志はテニス部に所属している。
文武両道で鳴らしている学校なので、体育会系もそこそこ大きい大会を控えている。
「そっかぁ。あああ、きどさんが部活してくれてたらなー。オレも入ったんだけどなー」
木戸は帰宅部である。
そのことが光輝は残念でならないらしい。
「もし先輩が部活はいってても、3年なんだからすぐ引退しちゃうだろ」
ケチャップ味のミートボールをほおばり、いちおう形式で突っ込んでみる。
「でも、ちょっとでも一緒にいられたら最高じゃん」
あんだけ毎朝日参しておいて、さらにか。どんだけだ。
「・・・あえて突っ込まなかったけど、お前、なんでそんなに先輩が好きなわけ?」
ミートボールを飲み込む。
「いいだろーべつに」
「いや、よくない。ぜひとも聞きたい」
急に、第三者の声が割って入った。
正志と光輝が、同時に顔をあげる。
立っているのは、すこし線の細い印象を受ける、フレームレス眼鏡をかけた人物だ。
その場に木戸がいたら、一瞬で固まっただろう。
木戸に口づけをした人間が、学食の端っこで邂逅するとは。
「ええと」
どなたですか、と光輝が切り出すよりはやく、北島が微笑する。
「俺は木戸と同じクラスの者でね」
え、3年の先輩・・・と正志がつぶやく。
「毎朝、君が騒いでいたのを見てたよ」
「はあ。すみませんでした」
騒いでいた、というニュアンスから、迷惑に思っている空気を感じ取れるくらいには、光輝も聡かった。
むしろ北島の嫌悪感丸出しの声音が、それを悟らせたと言ってもいい。
かたん、と椅子を引くと、当たり前のように光輝の隣にすわる。
銀色のトレーには、夏だというのにかけそばが乗っていた。
せいろじゃないんだ。
光輝はどうでもいいことに気を取られた。
「あれだけ公開告白をしてたんだ、すこし説明をしてもらってもバチは当たらないよね」
もくもくとそばをすすりだす北島の眼鏡が、うっすらと曇るのを、正志も光輝も見つめるしかない。
よくわからないけれど、変なからまれ方をしている。
光輝はある意味有名人なので、知らない人からよくからかわれたり、声をかけられたり、たまに応援されたりすることはあった。
けれど、こういうからまれ方をしたのは初めてで、悪意は感じるけれど目的が分からない以上、なすすべもない。
一番のとばっちりは正志で、居心地の悪い空気にまみれ、まずい弁当がさらにまずく感じた。
「説明って、例えば?」
先輩相手に無視するわけにもいかず、そう光輝が話しかけると、一瞬、嫌そうな顔をされた。
嫌なら話しかけなければいい、隣に座らなければいい、それをしてきたのは北島の方なのだが、そう突っ込む勇気は、正志にはもちろんない。光輝は返事をただひたすら待つ構えだ。
「・・・もう、いい」
しびれを切らせたのは、相手の方だった。
ずぞっと、最後のひとすすりを豪快に含み、北島は切り上げるそぶりを見せる。
あっけない。用件もわからない。
――なら、なぜ、からんだ。
正志の心のつっこみは、幸いにも実際の声には出なかった。
そう、正志は賢かった。
「あ」
だが、光輝は
「わかった。きどさんに、オレと同じことした人ですね?」
アホだった。
がたん。
有無を言わせず立ち上がる北島を、光輝も正志も同時に見上げた。
眼鏡の奥には、無表情ともいえる目がある。
正志は賢かったが、まさか『オレと同じこと』がキスの意だとはわからない。
それが助かったといえば助かった。
変な人に絡まれた、変な人が自己完結した、そして何か気に障って立ち去ろうとしている。
第三者から見た状況はせいぜいその程度だが、当人同士は、すべてを理解していた。
こいつは、敵だ。
敵の中でも、特にタチが悪い、この世でもっとも相いれない敵。
不倶戴天でも足りない、天敵よりもなお業が深い。
恋敵。
「・・・あいつは、馬鹿なのか」
光輝の発言ですべてを悟った北島の、眼鏡の奥に若干の殺意が宿る。
光輝とのことを相談してきた時点で、そういうことを人に言えてしまう神経の馬鹿だとわかっていたつもりだが、それよりもさらに上を行く愚かさの証拠を知った今、怒りを通り越して笑いがわきあがった。
言うか。よりによって。光輝に。ほかの男にキスをされたことなど。
「あいつっていうのがきどさんのことなら、馬鹿じゃないです」
光輝のむっとした声による反論を、見下ろしながら小ばかにする声を降らせる。
「お子様だね。怒るべきところは、そこじゃない」
「はぁ?」
さすがに先輩相手といえど、光輝の限界も近づいてきた・・・ところで、北島がトレーを手に今度こそ立ち去る。
返却口に置き、もくもくと歩を進め、その歩調が、ひと呼吸ごとに早くなり、廊下ですれ違う面々が驚いた顔で振り返っても、北島は一瞥もくれない。
怒っていた。
JK―ジョシコウコウセイー風に言うなら
激おこだ!!!!!
「木戸ぉっ!!」
だん、とものすごい勢いで教室の引き戸を開け放ち、教室を睥睨する北島に、その場に居合わせた面々は呼吸を忘れたようにうごきをとめた。
なにごとか、と、誰かが問うよりも早く、眼鏡の奥が獲物を見つける。
「・・・・え?」
5時限目の準備をしていた木戸は、つかつかとものも言わずに近づいてくる友人にかける言葉もなく、アホのようにぽかんと見上げる。
北島は、およそ進学校の者とは思えないフレーズを、口にする。
「ちょっと、ツラ、貸せ」
何かのゴングが鳴った瞬間だった。